第17回:「シアワセな日々」 -EMIさん-

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「延安高架路から外灘へ向かうカーブからの景色が好きでした。昔と今の両方がはっきり見えて、なぜかいつも胸がキュンとするんです」

日々変化を遂げる上海を象徴するかのような、すでに失われてしまった景色が上海で一番好きな場所だというEMIさん。留学時代から日・中の翻訳者として働き始め、上海歴は今年で8年目を迎えた。

「日本では、養護学校の先生として働いていました。大学生のときからレスリー・チャンが大好きで、歌を聴いたり香港に旅行したりしていたんですが、とあるジャズ喫茶のマス ターと知り合い、上海を薦められたことから上海への留学を考えるようになったんです。実家のある長崎からも直行便があり、お手ごろな外国だったんでしょうね」
この頃EMIさんは、大学を卒業してすぐ学校で働き始めた自分の環境や今後について矛盾を感じていたという。
「人を教える立場にある自分が、いわゆる一般社会に出たこともなく学校にい続けて、社会人と言えるのかと、ずっと感じていた疑問が大きくなっていったんだと思います」

2000年、仕事を辞めて上海大学に1年半留学した。
「留学する前に、公民館の無料講座に通い、中国語の基本を勉強しました。自費で留学していたし、公務員に戻るつもりはなかったので、留学が終わってそのまま上海に残ったのは自然な流れだったのかもしれません」
留学の途中から、翻訳の仕事は始めていた。初めての仕事は知り合いの上海人が紹介してくれた消防関係の翻訳で、日本語を中国語に翻訳するというもの。専門用語が多く、ネイティブではない中国語への翻訳には苦労したが、この経験が今の自分の方向性を決定したのかもしれないとEMIさんは言う。
「一般的に、ずいぶん前から言われ続けていることですが、翻訳に得意分野は絶対必要です。私の場合、一番初めに経験した翻訳の仕事がとても専門的で、知識が全くなかったため非常に苦労しました。ただ、そのとき苦労して調べたり勉強したりしたことで、その後引き受けた専門的な内容にもすんなり入っていけたのかもしれないと今は思います」
その後は中国語から日本語への翻訳に転換し、最初は固定の顧客から仕事を依頼されたり、知り合いのツテなどでメーカーの翻訳なども手がけるようになった。現在は、2つの会社を掛け持ちするほかに翻訳斡旋会社に登録し、外注でも仕事が入ってくるなど忙しい日々を送っている。
「2社のうちの1社に労働ビザを発給してもらっているんですが、週3日は上海郊外にある工場で、週1日は貿易会社で、ひたすら翻訳してますね。最近は、小さなギャラリーボックスの店番にも週1日入っていて、そこで過ごしているときが癒しの時間です。土日は空けるようにしているんですが、外注の仕事が入ると休みなしで翻訳することになります」

休日は留学時代の友人に会ったり、以前ルームシェアしていたイタリア人の友人と互いに日本料理とイタリア料理を教えあったりして過ごすことも多いという。そういう、日常にある何気ない国際交流や自由な毎日も、上海に留まっている理由のひとつだ。
「需要があれば、日本に帰ってスキルを磨きたいという気持ちはありますね。チェッカーなど、翻訳に関係のある他の業務にも関わってみたいし、業界を全体から見てみたいという興味もあります。ただ、上海での暮らしはやっぱり私にとって特別なんだと思います。ここではおせっかいな人が多くて、エネルギッシュで、何でもありと感じさせてくれる。そういう環境で働いて、ご飯を食べて、美味しいお酒を飲むという、シンプルに幸せを感じられる毎日がある限り、とりあえず日本に帰ることはないような気がします」

どこにいてもできる仕事だからこそ、今自分がいる場所で毎日を楽しく過ごしたい。そうやってEMIさんのシアワセな日々は続いていく。

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宮城県生まれ。 国際基督教大学教養学部卒業。2004年より上海戯劇学院に留学。 その後、上海にて映像制作の仕事に関わる。現在は東京で、コーディネーターときどきウェブ、イベント制作を担当しています。

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