上海歴史ぶらり旅:往路

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東華大学の李嘉冬先生のご案内で、上海と日本の歴史を巡る「ぶらり旅」。
東華大学の学生も3人参加してくれました。

魯迅公園

1896年工部局が租界義勇隊の射撃練習場として開設。
正式の開園は1905年。1928年以降、中国人の入園が認められる。
在留邦人は「新公園」と呼んでいる。

第一次 上海事変後の1932年4月29日、日本の戦勝祝賀式典で朝鮮人ユル・ポンギル(尹奉吉)の自爆テロにより、白川義則陸軍大将が死亡、重光葵公使が負傷。中華人民共和国成立後~1988年まで「虹口公園」と称される。公園には魯迅のお墓(毛沢東題字)および魯迅記念館(周恩来題字)がある。

山陰路

施高塔里  陶晶孫宅

興業坊  吉行エイスケ宅
李香蘭(山口淑子)終戦直後一時収容された場所
※1989年フジテレビのドラマ「李香蘭」の撮影地でもある。

花園里  尾崎秀実宅

東照里  松本重治宅、瞿秋白宅

大陸新邨(コンチネンタル・テラス)
魯迅旧居(1933~1936年)、茅盾宅



虹口区第三中心小学校
(学校名を題字したのは東北帝国大学出身の中国人数学者、元復旦大学学長の蘇歩青氏)
※今上皇后美智子様のお母様でいらっしゃる副島富美子がかつて通われた日本女学校(初期)のキャンパスだった。のちに日本実業青年学校のキャンパスとして使われていた。

千愛里  内山完造宅

中国工商銀行(山陰路支店)内山書店(後期)旧跡。

四川北路(北端)

復興中学校
もともとは工部局管轄下のPublic School of Boy(1916年創設)、日本占領下では興亜院華中連絡部。

北川公寓
ラモス・アパートが元の名前で、1930~1933年魯迅が内山の名義で三階の一部屋を借りて住む。

南京軍区施設
日本海軍特別陸戦隊本部。

多倫路文化名人街

知恩院
1924年建造のイスラム・スタイルの建築。細部の彫刻、列柱で支えられたアーケード式ベランダ、アラビア・タイル貼りの壁面に特色がある。

もと上海市紡績局療養所 日本海軍特別陸戦隊司令宿舎。

左聨成立大会会址記念館(中華芸術大学の旧跡)

丁玲、郭沫若、内山完造の銅像

鴻徳堂(1928年建造された中国様式の教会)

【往路】
魯迅公園-山陰路-四川北路(北端)-多倫路文化名人街
【復路】
四川北路(二回目)-乍浦路-北海寧路-呉淞路・武進路-乍浦路(二回目)-四川北路 (三回目)
【その他・外灘付近】

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