第8回:それぞれの転機

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    上海の1年は日本の3年に値するとよく言われます。

    もちろんそんなわけはなく、上海にいても1年は365日、1日は24時間で時は刻まれているのですが、この言葉にはふたつの意味があって、今の上海をぴたりと言い当てているように思えます。

    ひとつは、仕事量。いかなる日本企業でもローカル企業でも日本人と必要としている企業の規模は日本のそれより小さいため、一人でこなさなければならない仕事量が必然的に多くなり、クオリティーはともかく量だけで見ると日本の3年分が1年くらいに凝縮されているという意味。 もうひとつは、人材の入れ替わりの早さ。上海に骨をうずめようと決意している人でない限り、1年、長くて2年ほどで転機を迎える人が多いように思えます。ちょうど日本で、転職率が就職3年目に多いと言われるのと同じように。

    転機は人それぞれですが、周りにとってそれはいつも突然です。
    制作会社に転職して2ヶ月目、私を会社に誘ってくれた女性の先輩からの一言も突然でした。
    「来年はゆっくりしようと思うの」
    最初は意味がわかりませんでした。仕事量を減らすということなのか、それとも・・・?
    「だいぶ慣れてくれたみたいだし、私がいなくても大丈夫だよ」
    そこまで言われて、この人は辞めるときのことを言っているんだなと気づきました。そして、そのために私を入れたらしいことも。少なからずショックを受けながら、そういえば前の会社でも同じショックを受けたことがあったなとぼんやり思い出しました。

    それは今年の春節前のことで、コンサルティング会社にいた私は同じチームの先輩と調査のまとめをしていました。調査は大詰めの段階で、会社に残っているのは二人だけでした。
    ちょっと話があると言われ、何かしらの予感がありました。
    「春くらいに、日本に帰ろうと思うの」
    ショックを受けながら、同時にほっとした自分がいました。
    その頃私には転職の話があり、興味はあるものの、仕事も面白くなってきたころで迷っていたところでした。特にその先輩と一緒に仕事がしたいという気持ちが強く、まだまだ学びたいことがたくさんあったのです。変な話ですが、先輩のこの一言が私の背中を押しました。

    それからいろいろあって転職の話のあった会社とは別の、今の制作会社に落ち着いたわけですが、ここでもまた先輩がいなくなるんだなと不思議に思いました。
    二人とも30代、独身、上海歴3-4年。社歴も3-4年なので、会社にとっての損失もかなり大きいようです。会社のことは置いておくとしても、チームのメンバーとしてはせっかく信頼が築けてきたところなのに、もっと一緒に仕事がしたいのにと、なんだか裏切られた気分にもなりました。そこで日本へ帰ってしまった先輩に連絡してみると、そこには私にとっての答えがズバリ書かれていました。
    『自分も上海で働きはじめた頃は、人材の入れ替わりの早さに、これでは信頼のできるチームが築けない、築けたとしても何かの事情で辞めてしまう人が多いと悩んでいましたが、人にはそれぞれ事情があるし、そういった外的要因は自分ではコントロールできないことに気づきました。そういった状況で、自分はここで何がしたいのかという内的要因ならコントロールできると思ったのです。そして、それが達成できたら日本へ帰ろうと思うようになり、去年自分の目標を達成したと思えたので帰国することにしたのです』
    自分は上海で何がしたいのか、それはいつどうやったら達成されるのか。
    日本で働いていたら向き合うこともなかったかもしれない問題だと思いました。
    制作会社での先輩は、上海でやりたいことがあると言っていました。それは会社での仕事とは全く違う内容だけれど、仕事を通じて出合ったものだそうです。

    1年が3年に思えるくらいのスピードで、濃度で、毎日が過ぎていく上海。
    ここでは「ただ働く」だけでは、何も意味がないのかもしれないと思いました。それが海外で働くということ、海外で生活していくということなのかもしれません。

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    宮城県生まれ。 国際基督教大学教養学部卒業。2004年より上海戯劇学院に留学。 その後、上海にて映像制作の仕事に関わる。現在は東京で、コーディネーターときどきウェブ、イベント制作を担当しています。

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