コラム第22回:そしてまたここから

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2009年12月、6年間暮らした上海を離れることになりました。
それが決まったのは外的要因かもしれませんが、決めたのは自分で、思い返すとあっという間の出来事でした。
ぎりぎりまで仕事をして、人に会って、食べるものも食べておかないといけないし、これからの生活のための手配もあるし、毎日がお祭りのようです。上海を去る人はあっさりと去っていくように感じていましたが、実際はみんな感傷的になる暇なんてないのかもしれないと思いました。

2010年、新しい土地での生活が始まりました。新しい家、新しい街、新しい出会い、初めて見る景色や、食べ物・・・上海での暮らしから一変して、良く言えば平和な、穏やかな楽しい毎日。中国でたまったいろいろな毒が、抜けていくような、リセットされるような感覚でした。
上海からの仕事を受けていたので、上海とはまだつながっていました。ただ、とてつもなく、孤独でした。リセットなんてしたくない、まだやりたいことの途中なのに。もしかして自分は、6年間もかけて築き上げてきたものを、自ら手放してしまったんだろうか。それは、今までに感じたことのない喪失感でした。

2010年9月、半年ぶりに上海に行きました。上海情報ステーションの取材が一番の目的でしたが、少しでも自分がいなかったギャップを埋めたいという気持ちもありました。
空港から出ると、久しぶりの上海に嬉しさと安心感で胸がいっぱいになります。手放してから大切さに気付くなんて、元カレじゃないんだからなどと思いながら、嬉しいと感じる自分に少しだけとまどいました。駆け足で取材をこなし、あっという間に帰る日に。ギャップは埋まらず、これからどう付き合っていけばいいのかという疑問だけが残されました。だって、自分が上海に住んでないのに、「上海で働くということ。」なんてどうやって書けばいいんだろう。

2011年3月、上海の制作会社の同僚が、日中合作の映画を作るから手伝ってほしいと連絡をくれました。彼女の作るものが好きだし、映画にも興味があったのですぐに承諾しました。そして8月、香川県へ。中国語が飛び交う久々の現場と初めての映画撮影で、ビリビリと刺激的な毎日を過ごしました。・・・生きてるって感じ。

その興奮冷めやらぬ10月末、映画の試写と取材のため、1年ぶりに上海へ。もう全然「上海の人」じゃないけど、いいやという気持ちで空港へ降り立ちました。試写や予告編を編集する合間に、友人に会ったり取材したり。みんな忙しそうでしたが、それぞれの変化と向き合いながら、相変わらず楽しく、それぞれのペースで上海と共に暮らしていました。
そのとき、街の変化やそこに暮らす人々の日常を、新鮮な気持ちで興味深く受け止めている自分に気づきました。それは、上海で暮らしていた頃は感じたことのない気持ちでした。どうして1年以上も気付かなかったのか不思議に思うくらい、単純なこと。

手放してなんかいない、今までの積み重ねがある上で、一歩外に出た新しい目線から伝えればいいんだ。
そう思うと、目の前が急に開けたような気がしました。それが今までの疑問への正しい答えかどうかまだ分からないけれど、これからはもっと冷静に、寛容に上海と付き合っていけるかもしれないと思いました。

もうここに「帰ってくる」ことはないかもしれないし、ここで暮らす人たちのリアルな日常を感情で理解することはできないかもしれない。でもだからこそ見えるもの、感じることを大切に、上海にいる人にも、日本にいる人にも伝えたい。そしていつになっても新鮮な上海との出会いを、またここから始めよう。空港に向かう途中で見た朝焼けが、そんな気持ちを後押ししてくれたような気がしました。

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宮城県生まれ。 国際基督教大学教養学部卒業。2004年より上海戯劇学院に留学。 その後、上海にて映像制作の仕事に関わる。現在は東京で、コーディネーターときどきウェブ、イベント制作を担当しています。

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