第14回:STARTING OVER

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年末で制作会社を辞めることにしました。
大まかな理由としては、「上海情報ステーション」。細かく考えていくと、他にやりたいことがある、自分の時間が取れない、読めない、友達が減った、などなど。

仕事も番組も、嫌いではありませんでした。辞めるにあたって一番大変だったのは引継ぎで、自分も2年前はこうだったのかと少なからず落ち込みました。

11月の終わりから引継ぎを始めると、スケジュールが立てられない、何度も同じミスをする、ミスから学ばない、報告しないなど、問題は多発しましたが、すべての責任は結局指 導する私にあり、改めて人に教えることの難しさを実感する毎日でした。
最後のロケには出張で上海に来ていた東京サイドの制作チームも参加することになり、大人数でのロケとなりました。東京サイドのディレクターさんのサポートの下、引き継いだディレクターさんが指揮をとり、私は初めてのカンペ係を体験しました。
ロケが無事終わると、東京サイドと新しいディレクターさんと私で食事に行くことになりました。話はもちろん仕事のことがメインでしたが、私が初めて企画した特集のことを覚えてくれていたりして、なんだかしみじみ感動してしまいました。帰りは、東京サイドのディレクターさん2人と私の3人でタクシーに乗りました。毎日電話とメールでやり取りしたり、内容について話し合ったり助け合ったりを実際にしてきたメンバーなので、最も気心の知れた戦友です。
「来年からは日本サイドも忙しくなると思います。もっと一緒に仕事したいですし、もし機会があったら来年からも手伝ってくださいね」
「ていうか、日本にいるときはどこにいても呼び出しますから。むしろ社員になったらどうですか」
真に受けたい冗談でした。この人たちと、同じグラウンドで働いていたいと強く思いました。みんな素直に音楽が好きで、番組が好きで、中国でやることに意味を感じて仕事をしている。そういう環境でわりと好きなように仕事ができた自分は、思ったよりラッキーだったのかもしれません。

12月29日。30日から2日まで会社が休みとなるので、この日が最後の出勤日となりました。といっても、来年度1回目の納品は済んでいるし、日本も休みに入るので素材は届いていないし、あまりすることはありません。午後から社員一同で掃除と決められていたので、午前中はパソコンのデータ整理などをして過ごしました。
午後になり、皆掃除をし始めたので、私も身の回りを整理し、あとは一人一人にあいさつしてまわることにしました。まずは編集室のオペレーターさんたちに声をかけます。
「バイバーイ!あ、早く本返して」
番組を担当しているオペレーターからの返事。・・・まあ、個人的にも今後付き合いがあるだろうからこんな反応なんだろうな。それにしても軽い。
私が辞めることを知らなかった人、また来てねなど不吉なことを言ってくれる人など反応は様々でした。その中で、私が今日までだというと、驚いた表情を見せたあとにひとことだけ、おつかれさまと言った人がいました。
「辛苦了」
その人のその表情を見た瞬間に、初めて感情が込み上げてきて、なぜか泣きそうになりました。彼は中途採用で会社に転職してきて、私が初めて、連休に放送する特番を一緒に編集したオペレーターさんでした。技術は会社イチと言われているのに非常に謙虚で、マジメで、期待を裏切らない人で、私ももちろん信頼していました。

編集室の階段を下りながら、やっぱりこの2年間は無駄じゃなかったんだなあと改めて感じていました。わからないことだらけで中国語もできない中で、認めてほしくて、必死で、自分のやり方を確立しようともがいていた毎日だったように思うけど、ここまでやってきたという事実を認めてくれている人は確かにいるんだなあと思いました。

それを振り切ってまでやりたいことは何なのか、積み上げてきたものより価値があるのか、そう考えてわからなくなることもあるけど、すべてはきっと、つながっているものなんだと思います。これからの自分も、自分のキャリアも、積み上げてきたものを切り捨てるわけじゃない。そこでその人に出会ったから、その仕事をしてきたからこそ、そこからすべてが広がっていく。まずはここで出会ったすべての人に感謝して、ここでできることを一つずつ確実に積み上げていきたいと思います。ここからすべて始まるのだから。

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宮城県生まれ。 国際基督教大学教養学部卒業。2004年より上海戯劇学院に留学。 その後、上海にて映像制作の仕事に関わる。現在は東京で、コーディネーターときどきウェブ、イベント制作を担当しています。

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