第10回:「たいせつなもの」-斎藤智子さん-

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小さい頃から興味を持ったことはとことんやってみないと気がすまなかったという智子さん。日本で大学を卒業した後は、新聞社で5年、外資系スロットメーカーで4年半働いていた。

「日本で働いていた頃、仕事に不満はなかったのですが、どちらの会社も実力主義でばっさばっさと人を切り捨てていました。その体制に疑問を感じ、それが辞めるきっかけになったんだと思います」

初めての中国は北京。この旅行を決めたそのときまで、天安門や万里の長城などの名所が北京にあることを知らなかったという。
「日本で転職するまでの半年間、どうせなら外国に行ってみようと思ったんです。なんとなくモンゴルに行こうと思い立ち、最初は直行便で行くつもりだったんですが、友人にせっかくだから北京にも、と勧められガイドブックを買いました」

教科書に載っているような地名、建造物がたくさんある北京を訪れた智子さんは、この旅行を満喫していた。ところが、あと数日でモンゴルへ移動するときになって事件が発生した。借りていたホテルの自転車がなくなってしまったのだ。「自転車がずらーっと並んでいたのでその場所に停めたのですが、いわゆる路駐だったようで、私が用事を済ませてその場所に戻ると停めてあった何十台もろともなくなっていました」
中国語も出来ない、暗くなってくる、自転車は見つからず頼れるのは自分だけ。智子さんは、ガイドブックを見て紙に「我 自行車 那里(わたし 自転車 どこ)」と記し、周りの中国人に見せてまわったという。
「このとき本当に中国語がわからなかったんですが、周りの中国人がバス停まで連れて行ってくれ、5角を握らされてバスの運転手さんに託されました」
そうして着いたのが撤去自転車の収集所。日本では見たことのない迫力で自転車が積まれていた。途方にくれ、泣きそうになりながら探していると、収集所のおじさんと自転車を引き取りに来ていたお姉さんが手伝ってくれた。撤去されたばかりならすぐ近くにあるはず、とたどたどしい英語と中国語で励まされ、5分後には自転車は見つかった。
「お礼をさせてくれというと、いらない、見つかって良かったと笑顔で返されました。中国人のイメージといえば、怠けていたり人をだましたりとマイナスのイメージがあったのですが、このときすべて払拭され、なんていい人たちなんだと心から感動しました」
日本に帰った後も、この出来事がいつも強く心に残っていた。転職してからも大連や西安を旅行で訪れ、ますます中国が好きになっていった。
「2つ目の会社を辞めようと思ったとき、迷わず中国へ行こうと決めました」留学した後働けるように、上海を選んだ。大学で経済を専攻していたこともあり、留学先は上海財経大学に決めた。
「留学が終わりに近づいた頃、人材紹介会社に登録して仕事を探しました。日本での経験を活かせるような仕事をしようと思っていたんです」
そうして紹介されたのは上海郊外にある日系メーカーでの総務の仕事。待遇も悪くないし、試用期間が終わったら技術部に異動させてもらえるというので、この会社で働くことにした。
「最初に与えられた仕事は、お茶汲みでした。この人はコーヒー、この人のお茶には砂糖を入れて、この人は熱めでなど、新聞社と外資しか経験したことのなかった私には初めて見る世界でした」
この他にトイレのフタが壊れただの、印刷機の紙がなくなっただの、毎日社の雑用をこなしていた。試用期間の3ヶ月が過ぎても異動はなく、緊張とストレスで体調を崩した。
「ここまで来て何をやっているんだろうと思いました。辞めることに迷いはなく、次は自分に合った業務を確実に出来る職場を選びました」
休養のため日本へ一時帰国、次は機器を扱う日系メーカーでシステム関連の部署に配属された。
「日本での経験も活かせるし、やりがいもあったのですが、前任者が突然産休でいなくなり、引継ぎもないまま業務がスタート。試行錯誤の毎日でした」
ようやく落ち着きを見せた智子さんの上海OLライフだったが、労働節の連休が終わると部長に呼び出された。
「本来、試用期間中は休暇をとることは出来ないため、休暇をとった私は試用期間をさらに3ヶ月、延長すると言われました。このときの休暇は入社当時から申請していたもので、問題ないはずだった。それに、この部長が少々問題のある人で、それも積み重なっていたのでしょうね」
そして智子さんは、独立することを決めた。
「独立するなら好きなことで、と決めていました。小さい頃からビーズを使ってアクセサリーなどを作るのが好きだったんです」
まずは状況を把握するため、ネットショップの形式で2005年10月にお店をオープン。2006年5月末には店舗をオープンした。お店には所狭しと作品や作品の素材となるビーズ、金具類が並べられている。
「今度は浦東にもオープンできたらと思っています。あちらにはこういうお店がまだないみたいで、遠くから来てくれるお客さんもいるんですよ」 どんな状況にあっても笑顔で、人との出会いを、人を大切に出来る環境を選択したい。もの作りという、自分の世界にのめり込み、自分のペースで何かを創りあげることが大好きな一方で、一番大切なのはやっぱり人。たくさんの出会いと別れのくりかえしで成る上海は、智子さんにとって宝石箱のような存在なのかもしれない。

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