大学生の頃、オランダに1年間留学していた経験を持つハナコさん。思い立ったらまずやってみる、行動派だ。大学を卒業してからは日本で新聞記者として1年働いた後、語学留学で上海にやって来た。
「記者を辞めた後、海外に行こうと思い立ちました。ヨーロッパはもう住んだことがあるし、行くなら中国がいいなと思っていました。父が北京生まれなんですけど、祖母にいろいろ中国のことを聞いていたこともあり、元々中国には興味があったんです」
交通の便利さ、対応の良さから上海戯劇学院を選んだ。まずは寮に住み、そのあと不動産屋を何件もまわってお気に入りの物件を探すことに決めていた。
「その頃、不動産屋さんの名刺を集めるのが趣味であるかのように何枚も持っていました。実際自分の目で何軒も物件を見ると、目が肥えてくるし、条件も明確になってくるんです。私が探していたのは上海独特の“老洋房”という古い物件だったので、たとえばキッチン・トイレは一人用か?とか床は水平か?など普通とは多少違う条件もチェックするようになりました」
留学中からライターのバイトをしたりして書くことは続けていたが、留学が終わる頃、知り合いの紹介でポータルサイトの立ち上げを本格的に手伝うことになった。
「ライターから始めて、結局正社員の待遇で立ち上げに携わりました。オープン前後は休む暇もないほど忙しかったのですが、取材に出向き、写真を撮り、記事を書くことは楽しかったので特に不満はありませんでした」サイトは無事オープンし、スタッフも集まり、毎日が落ち着いてきた頃、違和感を覚え始めた。
「この頃からちょうど待遇についても疑問を感じるところがあり、それがきっかけで仕事自体について考えるようになったんだと思います」
大学生の頃、留学から帰ってきたハナコさんには秋季募集がちょうど良かった。難なく新聞社に入り、業務をこなした。上海に来てからライターになったのもそういう流れがあったからで、深く考えもせず流れにのってここまできた。行動力、といえば聞こえはいいが、そこには情熱とか夢とか、そういったアツさはなかったのかもしれない。
「私が今までやってきたのは、“やれること”であって、“やりたいこと”ではなかったんじゃないかと、ふと思ったんです。お給料とか待遇とか、仕事の大変さとか、そういうのは実は二義的なことであって、本質的な問題は別にあるのかもしれない。だから日本での仕事もなんとなく続けて、なんとなく辞めちゃったのかなと思います」
結局、仕事は3月いっぱいで辞めた。
上海での生活にも区切りをつける意味で、旅行に出て、そのあとは未定。今はまず一人になってみて、旅行を楽しみ、自分自身についても一度ゆっくり考えてみるつもりだ。
「“やりたいこと”を仕事にするのって、いろいろ難しい面があると思うんです。仕事にしたら大変なことも多いだろうし。でも、“やりたいこと”をやっているとやっぱり楽しいですよね。なんといっても好きなことなわけですから。だからこの先は、日本に帰るにしても中国に残るにしても、まず自分が“やりたいこと”を考えるところから始めたいなと。」
仕事を辞めたことに後悔はまったくない。自分を形成する上で、どんな仕事もキャリアになるし、同時にどんな仕事もキャリアには関係ないと思っているからだ。
風のように自由で、そのくせ日なたのようにあたたかい。そんな自然体な魅力を持つハナコさんは、今腰を落ち着けて、自分と向き合おうとしている。立ち止まることも、悪くないと思う。それもすべて、旅の途中の出来事なのだから。