第4回:「好きなものに近く」 -つーちゃん-

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1985 年の上海旅行がきっかけで中国と深く関わることになったというつーちゃん。

上海人のだんなさんと二人のお子さんを支えるママであり、3つの雑誌・サイトに連載を持つライターでもある。日本では事務職についていたが、第2子である娘が9歳になったのを機に夫の待つ上海へとやって来た。

「元々書くことが好きで、ボーイスカウトやボランティアなどで何かを作ったり、書いたりはしていました。結婚後、夫が日本へ来てしばらく家族4人で暮らしていたのですが、その後夫は上海に戻り仕事を始め、子供が母語となる日本語が確立する時を待って、日本と中国両方の文化を肌で感じて学び取って欲しいと私たちも上海に行くことにしたのです。」
1999年9月に第1子である息子を、2002年9月、娘を現地の小学校に送り出した。結婚後も働いていたつーちゃんにとって、初めての専業主婦体験である。中国語が思うように出来ないため、子供の学校の先生とのやり取りも満足に出来なかった。初めての専業主婦、初めての中国、保護者会で戸惑うことも多かった。
「親の自分がコミュニケーションを取れなくてどうする、子供に教える前に自分も中国の生活・文化を肌で感じ、理解したいと思いました。」

2003年3月、上海音楽学院漢語班に通い始めた。浦東に住んでいるため近くにある大学に見学も行ったが、バス1本で通うことができ、日本人の少ない、アットホームな音楽学院に決めた。
「今では日本人も増えた音楽学院漢語班ですが、当時はクラス6人のうち日本人が2-3人という言語的に恵まれた環境でした。1年経った頃から留学生辧公室のお手伝いを始め、学生の手続きを手伝ったり、新しくできるクラスのアレンジをしています。かれこれ2年以上のお付き合いになりますが、親しみやすい雰囲気は当時から変わらないですね。」
音楽学院在学中から、ライターの仕事も始めた。当時からムーブメントを起こしつつあった、フリーマガジン業界である。

「始めは、オシャレな駐在員(とその家族)」をターゲットにした雑誌の、子どもとママのためのページの制作にたずさわっていました。取材したり、書くことはとても楽しかったのですが、この雑誌のコンセプトが自分には合っていないような気がして・・・ちょうどそのとき他の雑誌からお話をいただいたのでそちらで書くことにしました。編集にも興味があったのですが、時間的には無理だったので庶務として応募しました。結局契約ライターとして関わることになったのですが、応募したときは、そのものでなくても、好きなものの近くで何かしたいという気持ちがとても強かったのを覚えています。」
その後この雑誌で再びライターとして執筆することになったつーちゃんは、『視点の地元密着型』のコンセプトの下に、新しいものを発見していく「上海街角新発見!」というコーナーを担当することになった。学生とライターを両立させ、掲載する写真も自ら撮影した。

この頃からアジアンエンターテイメントを紹介するサイト「ASIAN CROSSING」、2006年2月号からは日本で刊行されているビジネス誌の特集執筆が決まり、ライターとして軌道に乗ってきた。
「現在はhu-ismというフリーマガジンと、上記2本に連載を持っています。hu-ismでは恋するピーファー市場カタログというコーナーを担当しているのですが、特色のある市場をピックアップしているので毎回なかなか大変です。サイトでは芸能情報だけでなく、現地のホットな情報を取材しています。ビジネス誌には、良いも悪いも含めて、女性の視点から見たビジネスの現場、経営戦略について特集ページを担当しています。ビジネスにママの視点なんて、と思うかもしれませんが、逆にママだから気づく問題や、ママだから感じられることがあるはず。新鮮な、広い視点で捉えられたらな、と思っています。」

好きなことを仕事に、を実現させたつーちゃんは、はつらつとした笑顔で今日も取材へ向かう。中国と日本を、家庭を通して体験するのは楽しいことばかりではない。その部分に向き合い、興味を持ってとことん付き合ってみる。そんな前向きな暖かさが日中の距離を、少しずつ縮めていくのかもしれない。

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