コラム第20回:涙の数だけ

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    とある文化交流イベントのお手伝いで通訳をしました。

    日中の高校生が、写真を通じて交流するという趣旨のイベントで、日本全国から選抜された写真部の高校生たちが5日間上海に滞在し、上海の高校生と一緒に写真を撮影したり、合同で作品を完成させるというものです。到着の日にホテルに出向き、高校生と対面。その初々しさにドキドキしながら、5日間がスタートしました。

    初日は、日本サイドのみ上海郊外での撮影。
    バスの中で自己紹介しつつ、蘇州へ向かいます。高校生のかわいらしい自己紹介が進む 中、ワークショップ担当のスタッフさんが自己紹介をしきり、裏ではガイドさんの観光スポット確認やら、現地コーディネーターさんとイベント総括スタッフのスケジュール確認やら、それぞれがそれぞれの仕事を進めていきます。フリーランスになって1年、様々なイベントに携わり、イベントを参加者ではなく、スタッフの角度から見るくせがついたのか、私は、スタッフ構成やチームとしての動きに注目していました。
    高校生は全部で16人、引率の先生3人。観光・撮影・食事・移動、ひとつひとつの行動を経て、みんながゆっくりと打ち解けていきます。それと同時に、生徒ひとりひとりがどういう子なのか、どういう思いを抱いてイベントに参加しているのか、見えてくるような気がしました。みんな思いは違っても、写真に対する気持ちは真剣で、その純粋なアツさになんだか感動してしまいます。
    2日目。中国サイドとの対面。
    はにかみながらも、期待に満ちた表情で交流する高校生たち。ここから、通訳のウデも試されます。日中の交流って、こういう感じで始まるよなあと、何年か前、初めて日中交流に関わったことを思い出しました。

    ― 2005年、それは、留学時代の友人が企画した日中合作ミュージカルでした。
    ほぼ初めて経験する日中交流の壁。お互いが仲良く、一緒に素晴らしいものを作り上げようとしているはずなのに、どうしても乗り越えられない言葉以外の障害が、そこにはありました。1ヶ月弱、日本から来た役者さんたちと中国の学生さんたちと、泣いたり笑ったり、その倍くらい怒ったりケンカしたりしながら、舞台を完成させるという目的のために、朝から晩まで必死だったあの頃。

    3日目、4日目と上海市内を日中合同グループで散策し、5日目の最終日、合同制作の日がやってきました。朝から中国サイドの学校に出向き、これまで撮影した写真の中から個人作品の選出と、グループ作品を制作します。他のグループが着々と作業を進める中、私のグループは大いにもめていました。
    「中国サイドには写真に対する真剣さとこだわりが足りない」と主張する日本サイド。
    「日本サイドは時間がないのに細かすぎるし要領が悪い」と対抗する中国サイド。
    今までの経験で痛感してきたことですが、もちろんどちらも譲りません。今回はタイムリミットがあるので、できるだけ日本サイドのこだわりを聞きつつ、中国サイドの方針を採用することにしました。
    気づくと、日本サイドの一人が、机に突っ伏しています。震える肩。頬を伝う涙。
    もらい泣きしそうになっている場合じゃないって分かっているけど、日中交流の場では何度も目にする、涙のシーン。

    ― スケジュール管理、時間、細かさに対する、感覚と常識の違い。
    こだわる部分が違うだけで、目的は同じはずなのに、お互いに対する信頼や期待がゆらいでしまうことがあります。ミュージカルのときも、日中共に何人もの涙を目にしたし、私自身も泣きました。このためにわざわざやって来た日本人メンバーが失望するのがつらくて、何もできない自分がつらくて、本当に中国人が嫌いになりそうなこともありました。
    そこから考えるようになったこと。中国人メンバーの立場や気持ち、日本人メンバーには知りえなかったことが見えたとき、自分の気持ちも、日中間のわだかまりも、ゆるやかに溶けて、舞台は大成功を収めることができたのです。

    合同作品の発表が終わり、夜は市内のレストランで打ち上げが行われました。
    イベントを振り返るスライド写真を見る生徒たちの顔は、みな笑顔でした。思い出話の通訳をしたり、連絡先を渡してあげたり、とっても良い雰囲気です。食事の後は、先に帰る中国メンバーを見送ります。生徒たちは、自然と握手したり、抱き合ったり、最後には泣いている子もいました。いつの間にこんなに打ち解けたんだろうという思いと、このシーンのために、今回のイベントはあったんだという確信のようなものを感じました。
    最後の朝。通訳の女の子と二人で、早朝のホテルに、高校生を見送りに行きました。空港まで一緒についていき、寂しいけど、そこで生徒とも、スタッフともお別れです。
    観光とは違う、訪中を経験した高校生たち。もちろん5日間では、中国や中国人のことすべてを知るのは不可能です。でも、高校生だから、彼らだから感じられたこと。そんな特別な気持ちを忘れないでほしいと思いました。そして、そういう機会を提供し、手伝うことの意味は、やっぱりあると確信しました。

    伝わらなくて、理解できなくて、くやしくて流す涙。壁を乗り越えた後に、感動で止まらなくなる涙。みんな、真剣だから、言葉では表現できない心で交流しているから、涙が溢れてしまうのだと思います。そして、そうやって感情を見せ合った後に、自然と笑顔が生まれるのだと思います。
    涙の数だけ、日中の心は、笑顔に近づくのかもしれません。

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    宮城県生まれ。 国際基督教大学教養学部卒業。2004年より上海戯劇学院に留学。 その後、上海にて映像制作の仕事に関わる。現在は東京で、コーディネーターときどきウェブ、イベント制作を担当しています。

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